TULIPポークランチョンミートの輸入販売元「株式会社富村商事」の新聞掲載記事を紹介。


2001年11月14日、琉球新報に掲載された記事を紹介します。
(掲載日)2016年11月8日, (更新日)2017年4月7日

琉球新報に2011年11月14日紹介された富村商事の記事

琉球新報 2001年(平成13年)11月14日
ブームメーカー「沖縄ヒット企画物語」

【ポーク缶】(上)

 沖縄の食生活にしっかり定着している外国生まれの「ポーク缶詰」。正式にはポークランチョンミートという名称で、「PORK」(豚肉)と「LUNCH」(昼食)、「MEAT」(肉)の合成語だ。沖縄戦で上陸した米軍の野戦食として入ってきたポーク缶は、戦後の混乱、本土復帰など沖縄の戦後史と絡み合いながら、沖縄に根づいていった。さらに本土復帰前、製造会社のあるデンマークまで出向き、県民のし好に合う沖縄バージョンポーク缶の製造を実現した一人のウチナーンチュがいた。

年間六千トン余の輸入量

 沖縄地区税関によると、昨年一年缶のポーク缶詰の輸入量は約六千四百八十七トン。金額にすると二十一億九千七百万円に達している。輸入国別にみると最も多いのがデンマークで全体の約55%(数量ベース)を占め、次いで米国24%、中国11%、オランダ8%、台湾0.4%と続いている。約二十年前の一九七九年の統計でも輸入量は六千百四十四トンで、輸入量はほとんど変わらず、ロングセラーの人気商品といえる。全国的統計ではポーク缶の輸入だけ抜きん出るのは難しいが、全国の輸入量の九割は沖縄、といわれている。
 なぜ、沖縄だけこれほどの人気があるのか。沖縄の貿易に詳しい県貿易協会専務理事の崎原永広さんは「大衆缶詰」の変還を語る。
 「確かに米軍の野戦食として沖縄にポーク缶は入ったが、すぐに県民に広まったわけではなかった」と言う。
 戦後、日本からのサンマやイワシの缶詰が入り、それが県民の大衆缶詰だった。その後、沖縄のために、米国政府が補助金を出し、カナダ産のポーク缶が大量に入った。五割補助だったから庶民でも手の届く安い価格だったという。
 その補助も三年ほどで打ち切られたため、次はマグロの缶詰が主流となった。「ポーク缶の味に慣れた消費者は舌が肥えており、サンマやイワシの缶詰には戻って来なかった。そこで新たな大衆缶詰が求められ、マグロの缶詰に注目した」と語る。崎原さんも静岡県で製造されていたマグロ缶詰の仕入れ販売を手掛けた。
 「月に百から二百ケースで始めたが、全盛期には二万〜三万ケースもでた」と振り返る。
 そのころ、那覇市に富村商事(現在の本社は浦添市)があった。創業は七十年前の一九三一年。五二年に合資会社となっていた。初代社長は富村朝英さん(八一年七月没)。朝英さんは五八年からデンマークのチューリップ社と取引を開始し、ポーク缶の輸入を始めた。今から四三年前だ。
 二代目で現社長の富村朝保さんは語る。当時、朝保さんは十八歳だった。「チューリップ社から営業マンが来沖し、商談が成立したと思う」。輸入を開始したものの塩辛くて、市場の反応はあまりよくなかった。
(政経部・宜保 靖)